#5 300<スリーハンドレッド>(字幕)
筋☆肉!!
まあ、冗談はさておいて、そんなふざけた映画でもないです。
300<スリーハンドレッド>
歴史の授業にも出てくるアテナとスパルタの2国の名は、例え授業中に寝ていたとしても聞いたことぐらいはあるのではないでしょうか。
映画の内容としては、スパルタ兵士の精神を尊ぶものとなっております。
奴隷が一般的であった時代、奴隷よりも市民が少ないスパルタでは厳格な軍拡化が行われました。
発端は奴隷の反乱を防ぐことであったかもしれませんが、紡いでいく歴史の中で、彼らは戦士として誇りを身に着けていきます。
スパルタの男性は幼少期から筋肉を鍛え、戦闘力を鍛えました。肥満の男性には罰則があった程だそうです。それほどまでに苛烈を極めるスパルタ教育の甲斐あって、彼らは市民であり戦士でした。
作中で印象的な場面があります。主人公のレオニダス1世が、他国家の兵士に職業を聞き、その兵士たちが皆、陶芸家や彫刻師など別の職業を持っていると答えるシーンです。
スパルタでは、片手間で戦士をやっている者などいません。皆が鍛え上げられた純然たる戦士なのです。
ペルシア軍との戦争に際しても、彼らに怯えという感情はありません。寧ろ、敵が強大であれば笑ってしまうといった精神性が描写されます。
また、彼らは戦士ですから、軍略にも優れていたことが分かります。自分たちの長槍と盾の特性を活かし、狭い谷での戦闘を選び、味方の死傷者を減らす先方は見事な知略です。
知略と肉体を活かして、戦う。この映画のほとんどはこの印象です。
結末は歴史が物語っている通りのものとなります。
その過程、レオニダス王は何のために戦うのかを見出します。作中の言葉でいえば、「自由な魂。」彼らはスパルタに生まれた者として、スパルタとして死んでいきました。
そこに後悔は無いのでしょう。戦うという自由を選んだのですから。そんなレオニダス王の意志は引き継がれ、後のアテネ・スパルタ連合軍と、ペルシア軍との戦争が始まる所で幕は閉じます。
300人だったスパルタ重装歩兵が、後に10,000の軍勢となって咆哮をあげるのです。誰よりもスパルタ人らしく、後世の人がイメージするまさにスパルタでした。
内容も纏まっており、何より世間がイメージするスパルタを良く表していたのではないかと思います。
そして何よりも、良い筋肉でした。
蛇足
歴史の授業の中でもアテネのことはよく聞きますが、スパルタの情報はあまりないのは何故だろうと、映画をみた後少し調べてみたんですね。
そしたらスパルタは軍国に走り過ぎた為、自国に関する資料ですとか、記録といった文化的要素があまりに欠落した国であったらしいことが分かりました。勉強になりますね。
また奴隷を押さえつけるために始めた軍国化でも、外敵であるペルシアとの戦争をして死ぬことを喜ぶ、という精神構造にまで行ってしまったのはどこかズレてしまったなとも感じてしまいますね。
彼らの敵は、内国反乱奴隷であったはずなのに、強大な敵を求めてしまうというのは、格闘技と同じように、「刃牙」みたいな、どちらが強いかを決めたくなってしまうのは、男のサガなんでしょうかね。